【心と体の健康をあなたに】
初めまして!ストレッチサロンドリーム代表の外山大輔と申します。
当院のページにお越し頂きありがとうございます。
当院の施術にご興味を持って頂いた方に向けて自己紹介をさせて頂きます。
1980年4月4日、宮崎市の産婦人科で産声をあげた赤ちゃんは3680gの元気な男の子だったそうです。生まれてきた時の大きな泣き声と大きく育つように「大輔」と名付けてもらいました。
病院で働く人は僕のヒーロー‼︎
両親の期待とは裏腹に、病気やケガに悩んだ幼少期。
5歳の頃には階段で足を滑らせ、ひたいに5針を縫う大怪我。鎖骨の骨折を中心に捻挫や打撲は日常茶飯事でしたし小児喘息、軽いアトピーを患い扁桃炎でよく熱をだしたかと思うと髄膜炎という命の危険になりかねない病気をで入院をした青少年年期でした。
物心のついた時から病院に通っていた私は気がつけば病院に抵抗はなく、いつからか痛みや病気を直してくれる先生や看護師さんに憧れるようになっていました。
病院に言った直後または数日後には痛みや病状が治っている事から、魔法をかけられたような気になり病院で働く人たちは僕のヒーローでした。
柔道との出会い
病院で働く人に憧れ将来は病院で働く人になる!と思ってはいたものの、好奇心旺盛な私はよく遊び、よく学びスイミング、バスケット、バレーボール、塾やピアノなど習い事を様々な体験をしました。(勉強はそこそこ)
その中でも一番続いたのが「柔道」。小学校3年生から始めた柔道は「井上康生」さんの所属した名門道場に通う程で気がつけば20代後半まで柔道着を着る程大好きになりました。
大好きな柔道だったのですが、とても怪我に悩まされた中高時代。強くなりたい一心で体を追い込んでいたのですが次第に疲労の抜けない体となり、気持ちまで弱くなっていたのか捻挫や肉離れはしょっちゅうの事でした。高校の時は整形外科と整骨院へ通う事が日課のような時期もありました。
この時期の事を思い返してみると「強くなりたい」という欲と「休むと怒られる」「周りから置いていかれる」という不安や恐怖から体を追い込んでいたように思います。
あの時の思い再び
高校の柔道生活はあっという間に過ぎ去り、進路を決める時期。「これからどうしたいんだ?」と、担任や監督に言われた時、すぐに口にしたのが「医療の道に進みたい」でした。
柔道ばかりで勉強をしていなかったので、頭からお医者さんは無理だな…と思い看護師や理学療法士などを考えていたのですが、こちらも学力不足だと判断され断念。
どうしようかと悩んでいた時に柔道部の監督から「柔道整復師」という整骨院の先生になるための資格があるという話をきき、整骨院を経営している先輩に話をききに行きました。その資格に魅力を感じた私は「柔道整復師」を目指す事となります。
大阪での修行
大阪の専門学校へ進学した私は、まずは絶対に国家資格を取る!という目標の為に必死で勉強しました。「故郷に錦を飾る」そんな思いと「年間1000時間勉強したら試験には受かります」という先生の言葉を真に受け、人生で一番勉強したと言っても過言ではないくらい机に向かいました。国家試験前には同じクラスの人と気がつくと16時間も勉強していた事もありました。
人というのは、「やりたい事や本気で叶えたい事」は真剣に向き合うし勝手にやるんだとこの時知りました。
勉強の甲斐あって、無事に国家資格を取得。勤めていた整骨院の分院長をさせて頂きました。ここでは一日で100人近く来てもらえる整骨院に成長し、自信と経験を付けるよい職場となりました。
この時に、来院された方で「ひざ痛」「股関節痛」など、湿布やお薬など一般的な治療で痛みが解決しなかった方々にご相談頂き、治療させて頂いた事が今の治療家としての糧となっています。
その後、同じ業界の方に声をかけてもらい整骨院の共同経営を行い順調そうに見えた大阪での治療家人生でしたが、ここで少し流れが変わります。
夢が叶う瞬間
2013年「とやま整骨院」を開業。しかし、この直前に私の心は様々な出来事に揺さぶられていました。
共に大きな成功をおさめよう!と一念発起して始めた共同経営ですが、時間の経過と共にお互いの経営に対する価値観のズレから、2012年の冬に共同経営を解消する流れとなります。それからどうしようかと悩んでいた12月の下旬、寒さも厳しくなり年末で慌ただしく感じる大阪の街を抜けて自宅に帰ろうとしていた時の事でした。母からの電話。
「おばあちゃんがなくなりました…」
一瞬頭が真っ白になり、立ち止まってしまいました。年齢を重ね体が弱くなり施設に入っていたのですが、心の何処かで「まだ大丈夫」そんな思い込みがあったのかも知れません。
整骨院の先生として一生懸命に働く姿、まだおばあちゃんに見せてない!まだまだ話したい事あったのに…そんな後悔に近い思いを抱きながら飛行機のチケットをとりすぐに宮崎に帰りました。
葬儀が終わり、なんとも言えない感情にさいなまれていた私でしたが、
「今のまま大阪にいたら祖父母のみならず、両親との会話や共に過ごす時間がすくなくなりまた後悔するかも知れない」
と感じ年明けが明けた2013年の1月に、帰郷する事を決めていました。
宮崎での開業を決めてからは、トントン拍子で準備が進み、周囲のサポートのおかげで好調なスタートを切る事ができました。朝から夜遅くまで多くの方にご来院頂き夢を叶え充実感を感じる毎日でした。
人生最大の苦しみ
好調そうに見えたのですが、私の胸の中には日に日に大きくなる迷いがありました…
「よくなる人もいれば変化も乏しく通い続けている人もいる。本当の治療ってなんだろう…」
子供から高齢者まで幅広く施術を行ってきましたが、
「自分の理想とする治療と患者さんとの向きい方ってどんな形なんだろう」という悩みが出てきてからはその答えを模索するために学びを深める日々となりました。
栄養学や脳科学といった体の事はもちろん、心理学やエネルギー理論なども学び知識は増えるもの、中々答えにたどり着かなくて気がつけば「人生にもがき苦しんでいる」かのような私の姿がありました。
ですが人生を諦めきれない私は、ある一人の方の言葉で救われます。
「君が完璧な結果を出す事は難しいが、お客様への気持ちを100%出し切る事や伝える事はできるんじゃないか?」
この言葉で目が覚めたように「治すか治せないかにこだわるのではなく、痛みを抱えている人や健康に前向きな人に僕の持っている全ての知識と経験を提供しよう」と新たな気持ちを胸に2017年8月に整骨院の看板を降ろし「ストレッチサロンドリーム」へ名称変更しました。
初心に帰り、相手と真剣に向き合う治療院として再スタートをきりました!
最出発!治療家人生はまだまだ続く
再スタートと言っても、今までとは随分と違うサービスを行う事に大変な思いをたくさんしました。私だけでなくお客様にも戸惑いが生じ、状況は大きく変化しました。
「この先どうなるだろう…」という思いはあったものの、自分の気持ちに正直になり、これまでの経験やスキルに加え、新たな技術や考え方で1人1人のお客様に私の持てる全ての技術で施術をさせて頂く事にしました。
ご縁を頂いた方を大切する事を忘れないよう真剣に向き合っていった結果、一人、また一人と痛みを抱える方の体は改善していきお客様が増えてきて下さいました。
当院に来る事で得られる安心感、目標に近づき笑顔になって頂きたいという思いを忘れないよう今日もお客様へ施術を提供しています。もちろん、まだまだ学ぶことはたくさん。日々勉強に励んでいますが、御縁を頂けた方が笑顔になって頂けるのであればこの勉強さえ喜びに変わります。今ご通院頂いている方、これからお越しになる方が笑顔と安心感を覚えて頂けるよう精進していきたいと思います。
人生どう生きるのか
治療家として業界に入って17年これまで様々なお体の状態を見て参りました。中には病院でもどうにもならないと言われた痛みの方から、精神的な物や自律神経の不調まで。
その全てに「改善策はないのか?」と自分に質問をしてきました。わからない事をわからないままにしておけない性格なのです。その性格のおかげか私には治療に対する人つの答えがあります。それは
「真剣向き合うことができるなら体は必ず良い方向に変化していく」
という事。真剣に向き合うとは、今までで一番自分の体のことを考え、一番自分を大切にすることです。
痛みを抱える方の多くに「無理をする」「我慢をする」と言った共通点があります。ですが痛みを改善するまでの間だけでもいい、ほんの数ヶ月間だけでもご自身のお身体を大切にしていただけませんか?
大切にしていただけるのであれば、必ずお身体は良い方向に向かうと思います。この文章を読んでいただけたのも何かのご縁やタイミングだと思います。この機会にぜひご自身のお身体を労ってあげてください。
この度は最後までお読み頂き本当にありがとうございました!心から感謝いたします!
みなさんの貴重なお時間を使って、私の人生や想いの一部を知って頂けただけでも本当にうれしく思います。お体や心の事で悩まれている方が一人でも救われるような未来を目指してこれからも人生を歩んでいきたいと思います。
全て方々の心身共がご健康でありますように…
ストレッチサロンドリーム 外山大輔